名古屋・岐阜・岡崎の弁護士が 弁護士 澤健二(愛知県弁護士会)について法律相談

弁護士 澤 健二(さわけんじ)

弁護士 澤健二
著書(共著)
災害対策マニュアル(商事法務)
水害・土砂災害対策Q&A(第一法規)
空き家・空き地をめぐる法律実務(新日本法規)
主に従事してきた分野
離婚・相続、借地借家、外国人関連事件
所属委員会等
平成22年度愛知県弁護士会監事
名古屋家庭裁判所調停委員
所属委員会  日弁連災害復興支援委員会副委員長
愛知県弁護士会   災害対策委員会委員長
ホームページ管理運営委員会

 

弁護士 澤 健二 経歴

昭和35年(1960年)6月2日、滋賀県甲賀郡(現在甲賀市)甲賀町に生まれました。忍術は使えません。

中学は野球部、高校はボート部に所属。金澤大学法学部へ進学し下宿生活を始め、周りは公務員志望が多く、公務員もなぁと思い資格を取ろうと司法試験を考えましたが、在学中はなかなか本気になれず、周囲が就職活動を始めるようになり、本格的に勉強を始めました。当初から庶民の中で法曹資格を使い庶民を励ます仕事をしたいと弁護士志望でした。

昭和61年阪神タイガースが優勝した翌年に合格、平成元年4月に弁護士登録をし、当事務所で弁護士活動をスタートしました。

弁護士会では人権擁護委員会に所属し、当時は報道による人権侵害が世間を騒がせていたこともあり、報道と人権の分野に興味をもち、報道と人権部会長なども歴任し、市民活動として報道被害者支援ネットワーク東海という団体を立ち上げ、事務局長として報道被害を受けたと仰る方の相談を受ける活動もしてきましたが、昨今関心が薄れたのか相談が激減し、平成24年に解散しました。

平成17年からは災害問題に取り組み、日弁連の災害復興支援委員会副委員長をしており、東日本大震災では日弁連の災害対策本部員でもあり愛知県弁護士会の災害対策本部員も兼ねており、種々の被災者支援の活動をしてきました。まだまだ災害は継続中で、皆さんが関心を持続して頂くことが被災者支援になりますので、風化させないことが大切です。

弁護士の仕事は、トラブルを抱えた方の人生の中でほんの一部分・一時期をサポートするだけです。しかし、「離婚」といっても人それぞれですし、マニュアル化できる仕事ではありません。仕事を通じて、少しでも依頼者の人生全般にとってプラスになるような解決をしたいと日々念じつつ、今後も成長していきたいと考えています。

 

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村八分事件

15世帯の自治会で、2世帯の方に対し他の住民が共同絶交をしたことについて、一人当たり40万円の慰謝料が認められた判決が高裁でも維持されました(大阪高裁平成25年8月29日判決)。

そこに至るまでにはいろいろ事情があったのでしょうが、大人社会のいじめが子に与える影響など考えると、やはりご近所は共助の舞台ですので、仲良くあって頂きたいものです。

澤健二

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災害復興支援Q&A

日弁連で被災者用Q&Aを作って、1万分刷って東北3県を中心にお送りしました。
どなたでも日弁連の下記ページからダウンロードできます。

今回啓蒙用に動画を作って配信を始めました。

http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/shinsai.html

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5週間で

いわゆるオーバーステイをしている外国人に特別に法務大臣が在留資格を与えることを

在留特別許可(ホントは許可ではないのですが)と呼んでいます。

日本人と正式な結婚をしている場合は概ね認められ、通常入国管理局に出頭してからビザが

もらえるまで半年から1年程度かかると言われており、今までの経験からもそんなものでした。

ところが今回、出頭した後次のインタビューのみで在留カードがもらえました。ちょうど5週間です。

退去強制されないかと3年近く逡巡されていましたが、すんなり認められ、家族全員安心して

日本で生活ができることとなり、大変よかったです。

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高山で法律相談

20日(土)に高山で法律相談をしてきました。

当事務所では夜あちこちで法律相談をしていますが、高山でも月に1回午後6時30分から法律相談をしています。

朝晩かなり寒く地元の方はもうストーブを出しているとのこと。

外国人観光客も結構いらっしゃり、震災後の落ち込みも徐々に回復しているのかも。

2012.10.22

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東日本大震災 現地法律相談報告

4月29日から5月1日にかけて、宮城県内の避難所へ行って法律相談をしてきました。

これは、被災地の法律トラブルを事前に防止するためでもありますが、被災者のニーズの収集を主目的としています。

政府の被災地対策が後手後手に回り、未だ復旧段階にあるにもかかわらず、復興委員会を立ち上げ、増税を言い始める等、私には、政府がメディアと一体となり被災者の窮状から国民の目をそらすことに汲々としているように見えます(震災後50日も経つのに今なおライフラインが復旧しない避難所、おにぎりとパンのみで温かい食事がとれない避難所があることは信じられないことです)。

被災地の実情を的確に把握し、適切な政策提言をすることが重要であると考え、今回、宮城県に東京、近畿6県、愛知県、山形県、山梨県の弁護士約100名超が集結し、一斉相談をしたものです。

愛知県からは10名の弁護士が参加しました。

愛知県は、29日は女川町、30日は石巻市、1日は仙台空港を抱える名取市といずれも壊滅的といえる被害を受けた地域を担当しました。

交通渋滞が激しいとの情報があり前日の28日に松島町あたりに宿泊しないと女川町に辿りつけないとのことで、28日に仙台空港から仙台市へ行き、レンタカーを借りて松島町に入りました。

被災後50日程度が経過しており、仙台市は概ね復旧は済んでいました。地震だけであれば直下型でない限り概ね1カ月程度で復旧は可能であることがここでも実証されました。

しかし、津波の威力は凄まじく、女川町、石巻市の沿岸部は未だ瓦礫の山という状況でようやく道路を確保できてきたという状況で、多くの死亡者を出した名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、さすがに仙台市に近いだけに瓦礫の「山」とまではいかないまでも、田に船や車両が放置されていたり、まだまだ復旧には時間がかかるという状況でした。

初日の女川町では6か所の避難所に分かれて入り、私は女川町立第1小学校を1人で担当することとなりました。
両親が未だ行方不明だが、行政が親を「死んだ」ことにするのに抵抗のある方等「こころ」の問題も様々であり、田舎であるため数世帯同居という家庭が多く、「世帯」の数え方等々難しい問題もありそうです(被災者生活再建支援法をはじめ、支援の法律が、個人単位でなく概ね「世帯」単位で支援金を支給することになっています)。

昼食は用意して行ったのですが、避難者と同じものを食べていけと勧められ、ボランティアが作ってくれた味噌汁付きの弁当を頂きました。

喫煙所では、地震後すぐに2隻漁船を曳航して沖合で津波をやり過ごした漁師さんのお話をうかがい、地震がくれば沖合に逃げろというのは漁師の鉄則であることは聴いていたものの、沖合にいても死を覚悟した程今回の津波はすごかったとのことでした(言葉は4割程度しか聞き取れませんでしたが)。

女川町ではようやく53軒の仮設住宅ができ、入居の抽選を終えたそうです。
女川町は約3000世帯あったそうで、津波で3分の1が亡くなり、町外で生活する方がいるとしても、仮設住宅は1500は必要でしょうから、まだまだ避難所生活は続きそうです。

ゆっくり寝たい、風呂にゆっくり入りたいという最低限の要望もかなえられる日はだいぶ先になりそうです。更なる死者を出さないために政府のなすべきことは山積しています。

2日目の石巻市では、日本製紙の社宅に避難されている方々の担当となり、社宅ゆえに皆さんが集まっている場所が無く、相談は2件しかありませんでした。

被害を受けたアパートの家賃の支払義務等賃貸借関係の相談でした。
女川町は持ち家が多かったですが、場所により相談内容も異なります。

何の被害もない状況に見える社宅の坂を50メートルほど下りると廃墟となっており、少しの高さが命運を分ける津波の脅威を目の当たりにしました。

休日にも関わらず社員の皆さんが長靴を履いて防塵マスクを着け、瓦礫の撤去、側溝の確保等の作業をされていました。
3日目の名取市は避難所ではなく名取市役所での相談を担当しました。

行方不明者の安否を探す張り紙があふれ、8か月の赤ちゃんの写真も貼ったままでした。
張り紙の中には名取市職員の「最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を亡くしました。いつまでも二人にとって誇れる父親であり続けられるよう精いっぱい生きます。被災された皆さん、苦しいけど負けないで!」と書いてあった黒のマジックだけの張り紙がありました。

被災者の方々の思いを応援する側がどう受け止めるのか、考えさせられました。

流されたリース車両のリース料金を支払わないといけないか、今まで我慢してきたが避難を機に離婚を考え別居しているが支援金が「世帯主」にいってしまうのを止められないか等、ここでも「世帯」に関する相談がありました。

流された住宅のローン、車・事務機器のリース料等の債務が残ったままでは新たに借金をして住宅を再築したり、新たにリース機器を借りて事務所を再開するための障害となります。

いわゆる「二重ローン」の問題は日弁連でも声明を出したり院内集会を開催したりして国会に立法的解決を要請していますが、「世帯」の問題も今後大きくクローズアップされてくることになりそうです。
個人単位で支援を考えず、何にでも「世帯」がでてくるのは日本特有の問題でしょうが、解決不能とは思われません。

避難所生活は2カ月くらいが限度です。政府は何とか夏ころまでに仮設住宅をと言っていますが、公営住宅でも民宿でもどこでもいいから早くゆっくり寝られる場所を、コミュニティーを壊さないように配慮しつつ用意するという難しい問題をクリアしなければいけません。
夏まで避難所で我慢してくれなどというのはもってのほかです。人が人として普通に生活できる環境を整えたうえで、初めて人間の復興が始まるはずです。

復興には数年数十年の期間がかかると予想されます。原発の問題が復興を更に複雑にしています。
場所により、時期により、被災者の皆さんの要望が変化し続けることがよりハッキリしました。皆がボランティア等で被災地に行けるわけではありませんが、被害にあわなかった我々にできることは、少なくとも忘れないこと、かかわり続けることだとあらためて確信しました。

中部地方は、今回の震災より先に東海・東南海地震が来るといわれてきた地域です。
三陸沖はマグニチュード7台が予想されていましたが、モーメントマグニチュードで9となりました。東海・東南海が8台と予想されています。
これ以上の地震がこないとはもはや誰も否定できないと思います。
東海・東南海が一緒にくれば10万軒の家屋が倒壊し6万人が死傷すると予想されています。
天災は絶対に来ますので、どう対処するか、東日本大震災にどう学ぶかがこの地方に問われていると思います。

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